緑色日記

虹色ですが神ちゃん関連ばかり。

W trouble参戦前の大きな壁 〜20代ヲタク卵巣嚢腫と戦う〜

 

 

 

 

 

一つ前のブログでお伝えしました通り、私は年明けに卵巣嚢腫が見つかり手術することとなりました。今後卵巣嚢腫が見つかって不安に思う方もたくさんあると思います。なので、入院前のこと、入院中のこと、不安だったことなどなどつらつら書いてみたいと思います。( 開腹ではなく腹腔鏡の手術の方が多いのかブログが少なくて、不安があったので開腹手術の経験談を書いていきます )

 

まず初めに、一応私は病院で働いており、学生時代は医療のことを勉強してきた身でありますが、まさか自分がこのような爆弾を抱えているとは思いもしませんでした。下腹出てるな痩せたいなと思いながら生きていました。(まあダイエットは長続きしませんでしたが)(やったところでお腹は凹まなかった)

 

体型のことなのでできれば周りに言いたくないですし言われたくないですし、バレたくないですし、見せたくないものです。(私はデブキャラで売っていたのもあり、そもそもあまり気にもしてませんでした)

 

嚢腫発見後はこれ見よがしに、家族や女性の同僚に見せて回りました。私はただのデブではなかったと。見た人々はあまりの下腹の出具合に驚き「 そんなにお腹出てると思わなかった 」「 そこまで出てたら流石に異常って思うかも 」と様々な反応。

 

 

一応体型が体型だったもので、ゆったりとしたセーターやスカートを履くことが多く、お腹以外はものすごい太いわけではないので着痩せしていたようです。

 

 

まずここで本当にお伝えしたいのは、検診は大事だということ。

 

 

「 まさか自分が病気なわけない 」若さもあるのでみんな思うと思います。私も思っていました。まさか自分がそんな大きな爆弾を抱えているなんて、夢に思ってなかったわけですから。

 

 

私の場合検診ではなく、単純に風邪をひいたときに診察したため、そこのお医者様が見つけてくれなかったら見つからず、きっと今も変わらず生活していたと思います。

 

 

地元のお医者様から大きい病院へ紹介され通院し、はじめは手術は5月だと言われました。逆にそこまで放っておいて平気ならそんなに大変なものではないのかなと一安心した覚えがあります。

 

しかし、その後カンファレンス(医者何人かでやる会議のようなもの)でやはり大きさが大きさであるため、2ヶ月繰り上がり3月の手術となりました。

 

そのため2月末の仕事はなんだか手につきませんでした。私の仕事はまあまあ体を使います。座っていることも多いですが、階段上り下りしたり、一緒に少し動いたり、外を歩いたり。

 

特にご飯食べてからの午後の仕事は、ズボンが苦しくなり、深呼吸ができないような感じ。ずっと頻脈で、ただ歩いているだけなのに走り回っているような息切れ感がありました。

 

2月末から急にこのような症状が出てきたので、恐らくは精神的なものだと思います。そう頭ではわかっているのですが、それを自分でなんとかできるわけではなく、2月末の2週間くらいは働くのが大変でした。家に着くとバタンキュー。9時ごろ寝ちゃうこともありました。

 

 

そして、3月。3月の頭までは働くつもりでしたが、休日、腹痛に襲われ(嚢腫どうこうの痛みではなく、腸の方の痛みではありましたが)大事を取ろうということで、急遽有給をとりお休みさせていただくこととなりました。(職場の皆さま優しくて励ましの言葉をたくさんくれました)

 

 

 

 

 

 

《 入院1日目 》

そして、入院初日。私は物心ついた頃に入院した記憶はなく、母に聞くと1.2歳の頃に入院したきりとのこと、その後は大きな病気にかからず生きてきました。家で書いてきてと言われた書類を提出し、病棟に案内されました。私の職場は普段がやがやしているため、入院する病棟についてあまりの静かさに驚きました。イヤホン持ってきておいて良かったと思いました。

 

 

入院は午前中からでした。看護師さんからのオリエンテーション、昼食、主治医の診察、シャワー浴、麻酔科医の問診、夕食と様々なイベントがありました。(入院している気持ちってこういう感じなんだなあ、と)

 

まあ、間の時間も長いので、そういう時間はパパジャニを見たり、WESTの曲を聴いて過ごしています。(9時消灯なのですが、早いような長いような中途半端な時間ですね…)(通信制限かからないか心配なので曲聞いてることが多いですね)

 

 

 

 

 

《入院2日目、手術当日》

朝食から断食、手術が午後のため、お腹がずっとすいていたような気がします。また緊張でお腹が痛くなってたような気もします。

午後、手術室へ呼ばれ、点滴を刺されたまま行ったため、点滴棒を押しながら行きました。また眼鏡をかけずに手術室へ行ったため、ぼやけておりほとんど何も見えておりませんでした。

何度も名前の確認をされ、ベッドに横になりました。

そして、背中への注射(痛み止め)なのですが、痛いんだ、怖いなという感情が先行し、過呼吸気味になってしまいました。(結果ものすごい痛いわけではなかった)過呼吸になっちゃったのが苦しかったですね。(元々過呼吸になりやすいため、みんながみんななるものではないです)

 

その後は点滴から麻酔を打たれたので痛みも記憶もなく、次目を覚ました時には部屋に戻る途中でした。下腹部に強い痛みがある状態で痛い痛い言っていたため、母が心配そうな顔をしてこちらを見ていました。しかし今現在、時期が時期で面会もあまり長い時間できないので、少しして母は家に帰りました。

 

体力を使ったのかぐっすりだったのですが、夜中に下腹部痛が強くなり目が覚めました。痛み止めを使ってもらって、落ち着いたのかそのあとは起きることはありませんでした。(しかしそれまでナースコール押しすぎでした)

 

 

《入院3日目、術後1日目》

常時37〜38℃の微熱もあり、体がだるかったためほとんど寝て過ごしていました。が、この日にバルーンが抜かれました。(尿を抜いてくれる管みたいなやつ)なので、自分でトイレに行くしかなかったのですが、ずっと横になっていたため、起立性低血圧(起き上がった瞬間に血圧が下がってしまい、めまいや吐き気を催すこと)みたいな症状が出てしまいました。過去にあんなに冷や汗をかき、吐き気を催したことはなかったですね、はい。多分血圧相当下がっていたのではないかと…。

その後も起き上がるのが辛く、1日通してご飯はほとんど食べていませんでした。トイレもあまり行きたくなく、水分もあまり取ってなかったかもしれません。とにかく寝て過ごしました。夜間の痛みは昨夜に比べるとありませんでしたが、時々トイレに目が覚めたので、その時に看護師さんを呼び、痛み止めを少し使ってもらいました。

 

 

《入院4日目、術後2日目》

だいぶ目眩が落ち着き、一人でトイレに行けるようになりました。朝昼も半分くらいではありますがおかずを口にでき、(おかゆは食べられなかった)水やポカリをたくさん飲むようになりました。術創部の痛み自体はそこまで強くないのですが、お腹にガスが溜まっているようでそこに圧迫感と痛みがあるような感じがしました。寝返りも少ししんどい感じがします。背中や胸の方にも響くような痛みで、波があるので、楽なときは楽なんですけれど。

そのお腹の痛みさえなければわりと動けそうなんですけど、堂々巡りみたいになってます…(ガス出すには動いた方が良い→でも動くと痛い→しかし動かないと出ない…)

 

 

 

ひとまず過ごしてみてこんな感じですね。

ブログを書けるくらいの余裕は出て来ましたので、元気になって来た方ですよね。

まだ点滴棒ないと歩けないよちよち女ですけれども。

 

 

 

 

p.sのちのち母に聞いた話なのですが、私のお腹に収まっていた内容物3.5ℓだったらしいんですね。それってもうほとんど出産では、と思いましたとさ。